「これは、大坂町奉行のお身内ですか。失礼つかまつった」

手形の刻印は三つ葉葵。箱根は小田原藩の所轄である。非礼があればお上から藩に訓戒があるやもしれぬ、と彼らは恭しく立礼した。車の荷を改めもしなかった。もとより彼らが警戒するのは江戸からの出女、江戸へ向かう入り鉄砲だ。徒に葵の御紋が付いた材木に触れる理由はない。やはり今の侍は役人なのだ。

丁重に見送られながら関所を通過した直後、カイが意義に疑問をぶつけた。

「おっさん、どういうことだよ」

「何がだ?」

「なんで町奉行の身内が、十手持ちに尾け狙われるんだ?」

意義はカイを見て「ほう」と感心した。

「なんだよ」

「読み書きはできずとも、頭は回るようだな」

「ケ!」と舌打ち。

「侍は、窮屈なしきたりに縛られる生き物なんだ。ややこしいものなのさ」

「暇で暇でしょうがねえから、ややこしくしてるだけだろうが」

意義は驚く。この小僧、また真実を言い当てた。侍は江戸に参勤する際も領内で勤める際も月番交代が原則である。つまりほとんどの侍は一年の半分しか働いていない。残りの半年は、学問や武芸に励むか鷹狩など趣味に興じる結構なご身分だ。泰平であれば「暇で暇でしょうがない」と感じる侍もいるだろう。

「武士道は死ぬことと見つけたり、という言葉を知っているか?」

「ああ。なんか弱っちい侍が題目みたいに言ってたなあ。どういう意味だい?」

これまで幾度となく侍を斬ってきたカイは、誰かの今際の台詞を聞いたのだろう。

「うむ。『葉隠』という侍向けの教書の言葉だ。本来は『毎日いつ死んでもよい覚悟で生きろ』という意味だが、今の侍は己の死を美化するために使っている。だが簡単に死ねば、今度は武士の責務『奉公』ができなくなる。考えれば考えるほど矛盾に陥るんだ。だから侍は考えることをやめて厳格な規範、窮屈なしきたりの方に逃げるのさ。その方がはるかに楽だからな」

「はん。やっぱ、侍の中身はスッカスカってことか」

「カイは、なぜ侍を目の敵にする?」