ふたりが旅を続ける九月。江戸城本丸の御所には、幕閣が顔をそろえていた。上座に家斉とその息子の家慶、下座に水野忠邦以下老中三名、若年寄の林忠英。
「越前。この夏は、稀に見る大風と寒さであったな。米はどうか?」
家慶が、自分の後見人とも言える水野越前守に訊いた。
「はは。遺憾ながら飢饉の影は広く天領を覆い、報告によれば奥羽、陸奥、さらには西方にも凶作の知らせがありますれば……」
「他は大過なし。なべて安泰かと。御前」
林に口を挟まれ、忠邦は忸怩たる思いで家慶を窺った。お気をつけあれ、と。
「さて、公方様は残暑にお疲れのご様子。御前建議の儀はこれにて」
やはり家慶は父親の側近を御しきれない。忠邦が代わるほかない。
「林殿、しばし。これより評定に上りし建議をば……」
「安泰ならばよし!」
不都合な真実など聞く耳は持たぬ、と殿上人・家斉から声がかかる。
「代替わりの儀は派手にやろう。のう、家慶」
「こ、光栄至極に……存じまする」
「わが嫡男も、西の丸老中も、よきにはからえ」
家慶も忠邦も「御意」と答えるしかなかった。
「余は、二の丸に戻るぞ」
話は終わった。老中部屋に戻る忠邦に、勘定奉行の矢部定謙が耳打ちしてくる。
「御老中。琉球慶賀使の儀は、いかが致しましょう?」
「無論、前例に倣うのみです」
老中は吐き捨てるように言った。
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