「彼」とのこと
あの大きな目を更に見開いてブルブル震える姿に、私は傍らで泣き叫んで、必死に名前を呼んだ。彼はその時は戻ってきてくれたが、憔悴しきっていて、更に悪化したことは明らかだった。
パートナーは彼に、レンタルの酸素ボックスを用意した。幅一メートル程、奥行きと高さが六十センチ程のアクリルの透明な箱である。火気厳禁だが、リビングに置いたので、その辺の問題はない。温度計と酸素濃度の計器がついていて、時々チェックが必要だ。
夏が近づきつつあったので、ボックスの中に冷感の布団を敷き、ボックスの上に置いて内部温度を下げる為、アイス枕を大量に用意した。冷凍庫の半分は、アイス枕で埋まっていた。
私は、夜はリビングの床に毛布を敷いて、横で眠った。パートナーは心配してくれたが、ボックスを離れる気にはとてもなれなかった。浅く眠って、数値と彼の様子を確認して、また浅く眠った。
日中は、毎日通院し、血液検査と点滴を受ける。彼の細い足に針を刺す様子を見るのは、こちらの心臓が痛むような気持ちがした。大事に扱ってくれるスタッフの方に、
「宜しくお願いします」
と彼を預け、夕方にまた迎えに行った。車の助手席で、うとうとする彼を冷感の寝具に包み、行きは、
「頑張ってきてね」
と励まし、帰りは、
「大変だったね。頑張ったね」
と労った。彼に届いていたかは判らないが、囁かずにはいられなかった。
帰宅すると、それでも彼はよく食べた。フードはカリカリのままだったし、茹で野菜、細く切った大根やキュウリ、湯通ししたササミと柔らかめの歯磨きガム等、ペロリと平らげてみせ、私達を安心させた。正に「食いヂカラ」であり、終焉に向かいつつあることは予感していても、私達には何よりの精神的支柱だった。
酸素ボックスを設置して十日が過ぎた。
その日も彼は病院から戻ると、出されたものを全て食べてなお、私に茹で野菜のお替りを催促し、満足すると、ボックスの中で穏やかな呼吸で眠り始めた。私もいつもの通り、傍らで横になった。