「彼」とのこと

長い間、犬にはたいして興味が無かった。四十代になるまで無かったのだから、相当である。猫については、元々、どうしようもなく好きだったが(それこそ、話しかける時、赤ちゃん言葉になってしまう程に)、犬に対しては、ずっと冷淡だったように思う。

二十年ほど前のある日、その後パートナー的存在になる人の家を初めて訪れた春、ドアの向こうから、「ウォン!」と野太い声がして、開けてみると、フッサフサの毛皮をまとった、ロングコート・チワワが激怒していた。

心臓をブチ抜かれた。恋に落ちた瞬間だ。以来、私は「彼」に夢中になったのである。

彼は、とろけるようなミルクティー色の見事な毛並、完璧な半球の、光を反射して輝く白い額(いわゆるアップルドーム)。

ピンと立った大きな三角耳、漆黒の零れ落ちそうな瞳に、真っ黒でツンと尖った鼻先。とても麗しい姿をしていた。軽やかな歩様で、フワフワと浮かぶように歩いた。

散歩中、通行人からは口々に、「可愛い!」と褒めそやされ(断じて「惚れた欲目」ではない)、中には、「高かったでしょう!」と、よくわからない感想を述べる人もいて、私は彼について、鼻高々であった(もちろん、パートナーの方ではなくて、チワワの方である)。

というわけで、本稿では「彼」とはこのチワワの事と認識していただきたい(人間の方については「パートナー」と記載する。あくまで、主人公は「彼」なのだ)。

彼は、パートナーの親戚にあたる、有名ブリーダーのところで生まれたそうだ。血統書付きの血筋らしい。

その彼が、パートナーのもとへやって来ることになった理由は、生まれたての頃に持った、右前足(私は「手」だと思っている)の障碍である。

彼の右手は、先端の指先が、パッと見てもわかるくらいに骨ごと変形していた。つまり、「売り物」にならなかったのだ。

近頃、ペットショップで動物を売買する事が問題になっている。「生産」しても「規格外」になってしまった子達は、どうなってしまうのか? 考えただけでも暗澹たる気持ちになる。絶対に闇に葬るようなことがあってはならないと思う。