私は生前、滅多に触らせてもらえなかったほっぺを撫で、彼に別れを告げたのだった。
彼を失って一年程は、入浴中や独りになった時、何故だか涙が流れた。
手を怪我した後、それでも歩かせないといけなくて彼を地面に降ろすと、大きな目が潤んで体が震えていたのが、目に焼き付いている。もっと何かできなかったかと、今でも思わずにいられない。
彼が甦る時、幸せだった気持ちと後悔が、半々にやってくる。決して楽な感覚ではないのに、それでも彼の事を考えた。
彼は私に「命」を実感させてくれた。生きるという事は、食べて、あくびして、寝て、排泄して、呼吸をする、それが継続する不思議であり、愛するという事は、その全てが続いて欲しい、守りたいと願う事だ。余計な期待は必要ない。そこに居てくれるだけで、私を満たしてくれる。こんな単純な事を、私は彼に出会わなければ知らなかった。今でも刺すような悲しみを感じるが、それでも彼は私の一部であり続ける。
最後に私は、現実的な事を言っておきたい。生き物と暮らすには、コストが掛かる。お金も時間も掛かるのだ。
幸いパートナーには生活に余裕があった。彼に尽くすことができる立場だった。保険には、最低限入っておくべきだ。このエッセイを読んでも、費用が掛かりそうなのは、容易に想像できるだろう。
彼らは共に暮らす、私達と同じ「命」なのだ。いざという時、出来るだけの事をしなければ、あなたは私などよりもっと後悔に苛まれ続ける。だから現実的な事を忘れないで欲しいのだ。
彼が去ってから、随分と時が過ぎた。
さすがに泣かなくなったし、胸の痛みも少しは薄れた、
夕空に流れるような雲が浮かぶ時、私はやはり、彼の現在を想像する。
彼は、元気な頃、すばしこく、転がるように走り、軽やかにジャンプ出来た。今、空の上では仲間と仲良く喧嘩しながら追いかけっこをし、神様からのおやつやお供え物を、ちゃっかり独り占めしているのではないだろうか。何しろ彼は、「食いしん坊で欲張り」だったのだから。
いつかそちらに行った時、虹の橋のたもとで、もう一度彼と巡り会いたい。
気の短い彼は、
「遅かったじゃねーか!」
と、相変わらず不機嫌そうに言うだろうか。
ちょっと性悪な彼に、私の心はまだ捕らわれたままなのだ。
了
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本連載は、今回で最終回です。
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