第一章 司馬遼太郎の育った庭
一 上宮中学校
英語の先生
昭和十一年四月、司馬さんは希望に胸をふくらませて中学校の校門をくぐったことでしょう。入学式で学級担任として紹介されたのは英語の先生で、次の年も担任を務められました。
この先生が前述の二人の先生の内の一人です。まさかこの時、司馬さんはこの先生が二年もの間、司馬さんに強烈なストレスを与え、一生の傷を心に残すことになるとは夢にも思わなかったと思います。
司馬さんにとってこの英語の先生は、『風塵抄』に「私は人に憎悪をもつようなしつこい性格ではないつもりだが、このときのその教師の顔つきをいまでもおぼえている」と書いているほど敵対した先生でした。
しかし、司馬さんはこの二年間について、一言も辛かったとは書いていません。ですが、中学一年二年の生徒にとって辛くないはずがなく、何ほどかの影響があったことは間違いないでしょう。
司馬さんはこの先生の名前などはまったく書いていませんが、調べたところ、それらしい名前を見つけました。それが正しいかを確かめるために、私がみどり夫人に手紙を差し上げたところ、確かにその方であると返事をいただきました。