大阪弁で読む『変身』

グレゴールはこの大仕事でいっぱいいっぱいになっとって他のことを気にする暇がなかった、とそこへ聞こえたのは支配人が「ゲッ!」と叫ぶ声──さながら吹き抜ける風──そんで見えたのはドアのいっちゃん近くにおる支配人が、ポカンと開いた口に片手を押しつけて、目には見えんけど体全体を前から押す力に追いやられるみたいにジリジリ後ずさりする姿。

母親は──支配人がおるっちゅうのに夕べっからほどいたまんまの髪がみごとに逆立っとった──まず手を組んでじっと父親を見た。それから二歩グレゴールの方に進むとスカートが広がる真ん中にヘナヘナとくずおれて、顔も胸に埋もれようかというくらいうつむいた。

父親が憎たらしそうに拳を握った様子は、グレゴールを部屋に押し戻そうとしとるみたいや。そうか思たらオドオドと居間を見回して、両手で目を覆って、たくましい胸が震えるくらい泣いた。

グレゴールは脚の一本たりとも部屋に踏み入れなんだ。固定してる方のドアにもたれとって、体の半分とかしげた頭しか見えへんかった。その頭でグレゴールはみなのおる方をのぞきこんだ。その間にだいぶ明るうなっとった。

通りの反対っ側に立つ向かい合わせの、端も見えんほど長い、濃いグレーの建物──病院やった──の一部がはっきり見える。その正面には一定間隔でぶち抜くように窓が開いとる。雨はまだ降っとるものの、一つ一つ目に見えるくらい大きい滴が文字通りピチョンピチョンと地面を叩いとるだけ。

朝めし用の食器がテーブルにどっちゃりそろえてある。父親にとって朝めしはいっちゃん重要な食事であってその最中に新聞各紙を何時間も読んでねばる、それが理由やった。真向かいの壁にはグレゴールが軍隊時代に撮った、明らかに少尉と分かる写真がかかっとった。手は軍刀に、くったくない笑顔、自分の行いと制服に敬意を払ってくれと言いたげ。

玄関ホールに通じるドアも玄関も開いとったから住居の玄関も下の階に続く階段の始まる場所も見通せた。

「ほな」と口を開いたグレゴールは自覚しとった。冷静さを保っとんのは自分だけやと。