新潟での日々
いざ直江津へ、と思ったら!?
「お前の看病をして亡くなったんだ……」
悪気があるのかないのか、ホントに母はそんな言い方をする人でした。
母の実家は、玄関を入ると土間が奥までずっと続いていて、二階が三か所もあるほど大きな家でした。私たちはその中の一番奥の裏口に近い二階を借りることになりました。
裏口から外に出ると正面に岩山がそびえていて、手前に北陸線の線路が走っていました。裏口の近くに不安定な形で大きな岩が居座っていたので不思議に思って聞いてみると、「昔、正面の岩山が崩れて転がってきたらしい」ということでした。
あとで分かったのですが、江戸時代(一七五一年)に起きた高田地震の影響で名立に地すべりが発生し(=名立崩れ)、小泊地区全体が一瞬のうちに海底に沈み、五百人ほどいた住民のうち四百人以上が亡くなってしまったのだそうです。あの大きな岩もそのとき転がってきたもののようでした。
突然の震災で小泊地域は消滅し、住民もほとんど亡くなってしまったために詳しいことが分からず、当時は重機もなかったため復興するまでに百年以上かかったそうです。
また、昭和二十四年六月、名立の海岸に機雷が流れ着き、住民たちが集まっていたところ突然爆発して、小中学生を含む六十四人が犠牲になるという大惨事が起きました。
母の教え子たちも含まれていて、それはそれは、痛ましい出来事だったようです。母の姪っ子さんも亡くなり、仏壇に幼い女の子の写真が飾られていました。