新潟での日々

和島村との別れ

春になると校舎の裏の八重桜がピンク色の花を咲かせ、秋には田んぼの稲穂が黄色く色づき、冬は見渡す限りの銀世界。のどかな和島村にゆったりとした時間が流れていました。

やがて九年が経ち、姉が高校、私が中学に入学する年に和島村を離れることになりました。

村から南に八十キロほど離れた直江津(なおえつ)(上越市)に引っ越すことになったのです。

直江津には叔母さん(母の姉)が嫁いでいて、その近くに父と母が土地を求め、すでに家も建ててありました。

仕方ないとは言え、仲間たちと別れることは気の進まないことでした。姉も同じだったと思います。いえ、中学時代まで過ごした姉にとって友達と離れることは、私以上に寂しかったに違いありません。でも姉はそんな素振りも見せず、黙って静かに過ごしていました。

実は母も、本当は和島村を離れたくなかったのではないかと思います。村の人たちから「先生! 先生!」と慕われ子供たちの指導に情熱を注いでいた母は、和島村で充実した教員生活を送っていたような気がします。

でも、いつまでも同じところにいられないのが、教師の定め。別れを惜しむ村人たちに見送られ、私たちは和島村をあとにしました。