和島村と私

二十年ほど前、和島村を離れてからもときどき連絡を取り合っていた小学校の同級生から、「東京在住の仲間で女子会をやるけど出てこない?」と誘われ、思い切って出かけることにしました。

久しぶりの東京に戸惑いながら、同級生が営んでいるという吉祥寺のお蕎麦屋さんにたどり着くと、何十年ぶりかの仲間たちが笑顔で迎えてくれました。和美さん、啓子さん、八重子さん、糸子さん、京子さん。村を離れてからも、懐かしく思い出していた和島村。「やっぱり和島村は、私にとって大切な故郷だったんだ!」ととても嬉しい気持ちになりました。

そして数年前、父母のお墓参りで直江津に行った帰り道、姉たちと一緒に和島村まで足を延ばしてみました。デコボコだった道は綺麗に整備され、田んぼだったところには新しい家が建ち並んでいました。

昔住んでいた教員住宅は取り壊され、別の家が建っていましたが、近づいてみると私たちが住んでいた家と同じような間取りになっていて、次姉も懐かしそうに眺めていました。

小学校はすでに廃校になっていましたが、正門の前で三人並んで写真を撮り、昔からあったお店屋さんに寄って、以前、教員住宅に住んでいたことを伝えると、その方が母の教え子だったことが分かり、思わず話が弾みました。

帰り道、道の駅「わしま」の看板があったので立ち寄ってみると、和島村は良寛さん(江戸時代の禅僧、歌人)が晩年を過ごした「良寛ゆかりの地」だったことを知り、九年もいたのに何も知らなかったんだと恥ずかしくなりました。

いつかまた和島を訪れて、今度はもっとゆっくり周って、小学校跡地にできたという素敵なレストランにも行ってみたいと思います。 

いざ直江津へ、と思ったら!?

新しく建てた家は直江津駅の裏側にあり、横には関川という大きな川が流れていました。すぐ近くには機関庫(機関車の倉庫)があり、機関車が吐くばい煙で洗濯物が黒くなることもありました。