たとえば、時計の文字盤を四つに割って教えると、一分と二分のちがいもわからないカーシャは一時間という長さのまとまりを直感で理解するようになった。

「半分いったら、そのたびに鐘を打て」

ニコがそう言えば、カーシャは三十分ごとに鐘を鳴らすことができた。

犬や猫などの動物に足が四本あることも、椅子や机の脚(あし)が四本であることも、彼にはその日から意味のあることになった。自分の手を眺めながら、仲間外れの親指と兄弟のように揃(そろ)って動く四本の指を握ったり開いたりする彼の瞳は発見の喜びに輝いていた。

季節が四つ巡って一年が経つことも、大天使さまが四人いらっしゃることも、とにかく四というまとまりを通して入ってくるものを彼の頭はすんなりと受け入れるのだった。

「貯蔵庫からジャガイモを持ってきておくれ」

ニコがそう頼むと、カーシャはいつだってジャガイモを四個持ってくる。二つ頼む、と言えば八個で、二つと半分と言えばなんと十個持ってくるのだ。ところが、入れ物を渡して、

「これにいっぱいつめておいで」

と、言えばカーシャはたちまち混乱する。いったい彼の頭はどうなっているのだろうかとニコは思う。

【前回の記事を読む】ボタンのかけ方やベルトの締め方、誰もが当たり前にやっていることが、彼には通用しない…ところが、そうでもないこともある。

次回更新は11月3日(日)、21時の予定です。

 

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