この時に携帯電話の展示があったと聞いて見ておきたかったなぁと思った。 ガラケーといわれる携帯電話の普及は平成5年~平成10年くらい。平成20年以降のスマートフォン登場。

万博で展示されてから23年後に初めて日本に登場した携帯電話。令和7年の大阪万博では、どんな展示品があるのだろうか、空飛ぶ車の展示はあるだろうか。問題山積みで開催できるだろうか。

高校卒業して短大になるとお小遣いは自分で稼ぎなさいと言われたが、部活で授業終わりや日曜日は練習や練習試合があるため、夏休みと春休みに短期アルバイトをした。元々、練習で暇もなかったが、小遣いは殆どなしの短大生活だった。

それに学生アルバイトの募集も少なく、今ほど働き口はなかった。短期のアルバイトを探すだけでも一苦労な時代だった。

18歳を過ぎた頃から家を出たいと思う日々が多くなった。しかし一人暮らしをするにも学生でお金もなくアパートを借りることもできない。

卒業後に一般の企業に勤務したかったわたしだったが、親から幼稚園の先生にならないなら家の仕事に入りなさいと言われて、自分の気持ちを通すことができずに幼稚園に勤め、最終的には結婚に逃げてしまった。

人の生きる道として、逃げるとろくなことは起きない。この結婚が、わたしの苦労の入口になった。

初婚でのつまずき

最初の結婚をした人は18歳の時にスキーで知り合った、友人の4歳上のお兄さんの友達だった。

この年頃の4歳上はかなり大人に見えたし、まして大学生ではなく家業を継いでいたので、大人と子供のような関係で、いつも上から言われていて、言い返そうものなら何倍にもなって上から言い負かされ、いつの間にか全てが相手のペースになっていた。

女子高で男の兄弟もいなく、初めてお付き合いをした男性だったので、圧も強くて自然体で話すことができなかった。

今だったら自分の意思をちゃんと伝えられるが、当時はまだまだ子供だったなぁと思う。異性と付き合うのも初めてで、中学から女子高だったから男性に対する免疫もなかった。

 

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