【前回の記事を読む】初産で死にかけた私――産褥弛緩を起こし分娩台で黒い布を顔に被され電気も消され5時間ほどそのままの状態に

二度目の結婚、そして離婚……

長女出産の時は、工場近くの個人の産婦人科医で出産した。最初の出産で産褥弛緩があったので、赤ちゃんが3kgくらいまで育っていることを確認できたときに、母体への負担が軽減するように予定日より二週間前に陣痛促進剤を打って早目の出産に臨んだ。長女は無事に生まれてきた。3人の中で唯一、何の問題もなく普通分娩で生まれた。

退院後は実家へも夫の実家へも帰らずに工場の上の自宅に帰った。布のおむつは、漂白剤につけたあとは洗濯機で洗った。産後3週間は、上の子が幼稚園へ行っている間はできる限り身体を休め、最小限の家事だけで横になるようにして過ごした。

虫の知らせだったのか、毎月数千円を6年間で貯めたものと結婚する前の自分の少しのお金で江東区砂町銀座の近くの6畳ひと間・風呂なしのアパートを借りた。

引っ越しの日を夫に言うと、当日に軽トラックを借りてきて、家を出る妻と子供たちの荷物をアパートまで運んでくれた。

別居生活4か月。その間に、夫とお義母さんで易者さんにわたしのことを占ってもらったらしい。

易者さんから「この人(わたし)が実家から結婚して住んだ家の方角は最凶で、今のアパートに引っ越したから命がある。連れ戻したらこの人は死ぬよ」と言われて離婚することを決意してくれたと聞いた。

2人の子供の親権もわたしにくれた。この夫の的外れな言動に驚いたが、子供の親権をもらえなければ離婚できないと考えていたので、あえて突っ込むことはしなかった。この時ほどホッ! としたことはない。

だが夫からこの時の占い師さんの言葉を聞いてから、引っ越しの時などにある程度方角や時期などを気にするようになった。

離婚に反対していた実家の父は、わたしの身体がやせ細っていくのを見て離婚を承諾してくれた。

家を出てからの日々は、仕事探し、保育園探しから始めた。アパートの礼金、敷金、家賃、残り少ない生活費はすぐに尽きる。

養育費も数十か月で送金されてこなくなった。このことは却って夫とすっかり縁が切れると思って肩の荷が下りたような気分になった。