第一部  夢は枯野をかけめぐる

おくのほそ道」の旅

立石寺

 閑かさや岩にしみ入る蝉の声

この句、最初は

 山寺や岩にしみつく蝉の声

であった。(なんと平凡な句)。推敲に推敲をかさねて、四年後の、「おくのほそ道」清書時に(四年かけて)名句になった。旅が終わった翌年に作られた「猿蓑」には掲載されていない。

最上川では舟の涼しさを詠み、羽黒山・月山・湯殿山の、出羽三山では憧れの修験者の足跡を追って月山の頂きまで登り、下界に拡がる雲の風景を

 雲の峯いくつ崩れて月の山

出羽三山に八日滞在、鶴ケ丘・酒田へ向かう。

 暑き日を海にいれたり最上川

酒田より象潟へ。そして越後路へ

越後路

 文月や六日も常の夜には似ず

 荒海や佐渡によこたふ天河

七月七日は七夕。六日はその前夜。「明日の夜の宇宙の大ロマンスを想像すると、その前夜から心が昂って平静ではいられない」猿蓑には、文月の句は掲載されているが、荒海は無い。

一振

 一家に遊女も寝たり萩と月

親しらず・子しらずの難所をやっと越えて取った宿に、越後の遊女も同宿した。伊勢参りをしたいのだが、女二人の旅は心細いので、「見えがくれにも御跡したい侍らん。衣の上の御情けに大慈のめぐみをたれて結縁させ給へ」と、涙を落とす場面が展開する。

この話、曽良の旅日記には記されていない。遊女らしい二人が同宿した事は事実かもしれないが、そこから芭蕉が紡ぎ出したフィクションであったとしても、この旅物語の華やぐ一場面で楽しい。