【前回の記事を読む】「落柿舎」に芭蕉の門下十哲のひとり〝向井去来〞が到着。日頃貧しい生活の弟子達は酒に歌仙にと陶酔
第一部 夢は枯野をかけめぐる
芭蕉終の旅
九月二十六日 両派合同歌仙
此秋は何で年よる雲に鳥
九月二十七日 園女亭 歌仙
白菊の目に立ててみる塵もなし
九月二十八日 畦止亭(けいしてい)句会 月下に児を送る
月澄むや狐こはがる児の供
九月二十九日 芝柏亭(しはくてい)句会
秋深き隣はなにをする人ぞ
この日の夜から発熱、激しい下痢が始まり、病床の人となった。
十月五日、芭蕉は南御堂の花屋仁左衛門別座敷へ移され、各地の弟子に、体調の急変が知らされた。
十月八日夜、芭蕉最後の一句を、呑舟に書き取らせる。
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
はじめ、下五に〝夢心〟と発想したが、それは未練と中七に据えたと伝えられている。
十月十日、弟子達が、今後の風雅の道はどうなるかと聞いたところ、「この道は我に出て百変百化す」と答えた。(三冊子) 芭蕉は〝あたらしみ〟も〝かるみ〟と同時に主題にしていたので、皆で、自分の道として、工夫・発展させよという意味と解釈する。
同日、去来がひそかに呼ばれ、「おくのほそ道」を託された。もし生きかえれば、現本は返す約束で。