第一部  夢は枯野をかけめぐる

おくのほそ道」の旅

旅立

深川芭蕉庵の土堤から船で千住へ。東北・北陸を廻る六か月に亘る大旅行。再び生きて帰れる保証は無い。

行く春や鳥啼き魚の眼は泪

下五の「眼は泪」に万感の想いが籠る。

草加

…痩骨の肩にかかれる物先くるしむ。只身すがらにと、出立侍るを、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨・筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて、路次の煩となれるこそわりなけれ。

芭蕉の本心は、密かに、身一つで、乞食のように、旅に出たかった。室の八島・日光・那須野・黒羽と旅を重ね、佛頂和尚修行の山居跡に到る。先年、身に染みる想いで聞いた厳しい修行の有様を思い浮かべつつ、

啄木鳥も庵はやぶらず夏木立

殺生石・遊行柳を経て、白河の関に到る。芭蕉の苦悩を想像させる最初の章は「白河の関」

心許なき日かず重るままに、白河の関にかゝりて旅心定まりぬ。「いかで都へ」と便求しも断也。中にも此関は三関の一にして、風騒の人心をとどむ。

秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。卯の花の白妙に、茨の花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し衣装を改めし事など、清輔の筆にもとどめ置れしとぞ。

卯の花をかざしに関の晴れ着かな   曽良

平兼盛……便りあらばいかで都へ告げやらむけふ白河の関はこへぬと

能因………都をば霞と共にたちしかど秋風ぞ吹く白河の関 源頼政……都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白河の関

曽良の句には

藤原季通…みて過ぐる人しなければ卯の花の咲ける垣根や白河の関

名文である。これらが全て取り込まれている。古人にとっては、白河の関は、よくぞ来たものという感慨の地。芭蕉の旅心が定まった事は実感と思うが、芭蕉の句はない。文面から、芭蕉の生の感慨が伝わって来ない。

曽良の句で救われている。

須賀川・あさか山・しのぶの里・佐藤庄司が旧蹟・飯塚・笠島・武隈の松・宮城野・壺の碑・末の松山・塩釜を経て松島に着。

「抑ことふりたれど、松島は扶桑第一の好風にして」から始まる詩文は、風景の描写、湾を取り巻く風物の佇まい、終には「江上に帰りて宿を求むれば、窓を開き二階を作りて風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまでに妙なる心地はせらるれ」とあり、旅立ちの時に貰った友人の和歌や発句を「袋を解きて、こよひの友とす」。

当然、自身の発句に、全知全能を傾けて苦吟したであろうに、芭蕉の句は残されていない。