石巻 平泉へ続く。平泉では
夏草や兵どもが夢の跡
五月雨の降のこしてや光堂
の名句が生まれた。旅の前半を終わって、この二句を入れて、芭蕉自身の句は十六句。どこか重苦しい前半ではある。
「おくのほそ道」のなかで、突然、大爆発が起こるのは「尿前の関」以降。
蚤虱馬の尿する枕もと
尿前の関で関所通過に散々な思いをして、一応の大きさの家に泊めてもらったけれども、田舎家で、一つの建屋に馬小屋も内蔵している。生憎悪天候が三日も続き、長滞在する事になる。いささか閉口気味の宿で生まれたこの句、よく味わうと、悪意はない。
まことにリアルで滑稽味すらある。そんな不運を面白がっているとみた。この句ポロっと出て来たとみたい。そして、思わず芭蕉は「これだ」と手をうった。これだ。身の回りの事柄を率直に、ありのままに、普段の言葉で俳句にすれば良い。後年提唱の〝かるみ〟と〝あたらしみ〟の発想である。このながれは尾花沢へと続く。
尾花沢
尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知りたれば、日比とどめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。
涼しさをわが宿にしてねまる也這出よかひやが下のひきの声まゆはきを俤にして紅粉の花
蚕飼する人は古代のすがた哉 曽良
短い文章に受けたもてなしの中身、もてなされた時のほのぼの感が偲ばれ、句にもリアルに描かれている。曽良の句の硬さにくらべ、芭蕉が今手にした作句の、優しさ
日常感、その瞬間の歓びの表現、これが、芭蕉が生涯かけて訴える「かるみ」である。この句から、最終大垣での
蛤のふたみに別れ行く秋ぞ
までに、この後半で、四十二句を生むことになる。
立石寺
山形領に立石寺といふ山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべきよし、人々の勧むるによりて、尾花沢よりとって返し、その間七里ばかりなり。
日いまだ暮れず、麓の坊に宿借り置きて、山上の堂に登る。岩に巌を重ねて山とし、松柏年旧り、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉ぢて、物の音聞こえず。
岸を巡り、岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ。
【前回の記事を読む】旅から旅をかさねた芭蕉 「おくのほそ道」は自身が、自ら開いた蕉風俳諧の出発点と言える。