第一部  夢は枯野をかけめぐる

笈の小文の旅

十一月四日、鳴海に泊まる。地元の人々と、七日まで歌仙を巻く。越人(染物業)入門。芭蕉はこの人の「二日働き、二日遊ぶ」人柄をよろこぶ。

ここで、前回野ざらし紀行で知り合った杜国が、米の空売りで咎めを受け、渥美半島稲村に蟄居中と聞き、二十五里を、馬で二日かけて急行、伊良湖に。道中吟

冬の日や馬上に氷る影法師

伊良湖岬にて

鷹一つ見つけてうれし伊良子埼

帰路は名古屋・熱田の連中と歌仙。その年の暮れ伊賀上野に着いて越年。

旧里や臍の緒に泣としの暮

翌、元禄元年芭蕉四十五歳の二月、父の三十三回忌に参列。更に、故(旧主)藤堂禅吟の子良長に、藩邸内の花見の宴に招待された。

さまざまの事おもひ出す桜かな

万菊丸と名を変えた杜国を呼び出し、伊勢・吉野・高野山・紀三井寺、最終明石まで、この間三十四日間。「道のほど百三十里此の内船十三里徒行路七十七里、雨にあふ事十四日」の強行軍の旅をした。

一つぬひで後ろに負ひぬ衣がへ

「笈の小文」の往路は、日常の束縛を逃れ、解脱した心境の自由を楽しむ。旅の苦労にも西行を偲ぶ。道中、風流の人に会えば「泥中に金をえたる心地して」と歓ぶ。

「栖を去りて器物の願ひなし。空手なれば途中の愁ひもなし。寛歩駕に換へ、晩食肉よりも甘し。とまるべき道に限りなく、立つべき朝に時なし。ただ一日の願ひ二つのみ。今宵良き宿借らん。草鞋のわが足によろしきを求めんとばかりは、いささかの思ひなり。」

これが風流の極みの表現であろうが、万菊丸の鼾に悩ませられつつ、限りない満足感に浸っている芭蕉が見えなくもない。

笈の小文最終章は、平家追悼で終わる。

「かかるところの秋なりけりとかや、この浦の実は秋をむねとするなるべし。悲しさ、寂しさ、言はむかたなく、秋なりせば、いささか心のはしをも言い出づべきものを思ふぞ。」

須磨寺やふかぬ笛きく木下やみ

平家の公達で笛の名手平敦盛の、聴こえるはずもない音色がきこえてくる。

蛸壺やはかなき夢を夏の月

下五を(秋の月)に代えてみる。句の形相が一変する。芭蕉は、そういう風景に出会いたかった。帰途、京都で杜国と別れ、五月初めから一か月余、大津に滞在する。

五月雨にかくれぬものや瀬田のはし

六月六日瀬田を出て、岐阜、名古屋と歌仙を巻きながら江戸へ帰庵の旅。

長良川の鵜狩を見て

おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな