ある日、結婚退職をした先輩の川田さんのお宅に、栞は会社の仲間とお邪魔することになった。面倒見が良く、仕事のできる頼もしい川田さんは誰からも慕われていた。栞も入社したばかりの頃、川田さんに丁寧に仕事を教えてもらい、随分と可愛がってもらった。
川田さんはシステムエンジニアのご主人と一歳の誕生日を迎えたばかりの息子の翔太くんと、幸せそうな暮らしぶりだった。都心から少し離れた閑静な住宅街にある一軒家は、そう広くはないが若い夫婦が暮らすには十分で、注文住宅だけあって使い勝手良く考えられた間取りや真新しい内装、センスの良い家具は栞の憧れる結婚生活のイメージそのものだった。
「わぁ、リビング広い! フローリングも綺麗!」
「キャビネットもアンティーク調で素敵ですね」
「ありがとう。でも、翔太が汚すから大変なのよ。だからソファーはカバーを洗えるように布製にしたの。あ、トイレは、廊下に出て左側だから遠慮なく使ってね」川田さんはいそいそと、家の中を案内して回った。
皆口々に褒めて、真面目そうなご主人と、可愛い盛りの翔太くんと理想的ともいえるこの家で暮らす川田さんを羨ましがった。
「栞ちゃん、見て見て。ビーフシチューを作ったのよ。翔太が起きてくる前に朝早くから頑張ったの。あとはもう少しこうして煮込んでおいて、仕上げにさっと生クリームを入れるだけなのよ」
川田さんは満足そうに微笑んで鍋の蓋を取った。赤ワインと香味野菜とブイヨンの良い香りがして、よく煮込まれた牛肉の塊は脂で輝いて見える。
「わぁ! 美味しそう、いい匂い!」
今日は特別、出されたものはちゃんと食べると栞は心に決めていた。
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