アザレアに喝采を

Ⅰ 節制

手のかかる幼い子供がいる川田さんが、私たちを招いてもてなしてくれる。その手料理を残すことはいくらなんでもできないと初めから思っていた。せっかく久しぶりに集まった場の雰囲気を壊したくもなかった。

「食べる」か「食べない」かは予め自分で作り出したルールによってしっかりと決められていて、予定以外のものを口にすることは決してなかった。

「食べ物に支配されている」と栞は感じていた。

カロリーや栄養成分などで食べてよいかどうかが決まる。だから「自分より食べ物の方が偉い」のだった。

それは栞の頭の中では正当なことになっていて、もう自分のしていることはよくある普通のダイエットではなく、拒食症という摂食障害であることにも気づき始めていた。

「食べ物に支配されている」と思うことは、摂食障害の症状の一つとしてダイエットの本に書いてあった。

けれど、これはもうダイエットではなくて病気なんだから、治さなくてはいけないという気持ちにはならなかった。栞は自分がたとえ拒食症であっても、自分の意志でコントロールできていると思っていたからだ。

拒食症の症状がひどくなれば当然栄養失調になってしまい、その結果命に関わることにもなりかねない。

入院しての治療が必要になるケースはいくらでもある。そもそも拒食症には特効薬といえるものはなく、本人の治したい、治りたいという気持ちが肝心なのだ。治るか治らないかは本人の気持ちが何より重要だ。

強制的に入院させたとしても、本人の痩せることへの願望が変わらなければ、拒食症患者と何とか栄養を摂らせたい家族や医師、看護師の間で壮絶な闘いが繰り広げられることになる。腕につけられた点滴を引きちぎって、病院を脱走してしまう拒食症患者さえいるという。

そういった拒食症についての知識も持ってはいたが、栞はそんな恥ずかしいことはまっぴらだと思っていた。だからそこまでひどくならないように自分でコントロールして、生きていく上での必要な栄養素だけはしっかり摂ると決めていた。

何でもかんでも闇雲(やみくも)に食べないタイプの拒食症とは違い、炭水化物、タンパク質、ミネラルなどのバランスも考えて必要な栄養素を摂っているつもりだった。それでも脂質だけはダイエットの大敵であるという思い込みが栞の頭から離れることはなかった。