第二章 自己心理学から見た各支の意味
「無明」とは、「錯覚としての自我」のこと
死を恐れることは、自分の直面する現実を恐れることです。死から遠ざかることは、自分の置かれた現実から遠ざかることです。
それは自分自身を生きることから遠ざかることでもあります。
それでは自分を生きているとはいえません。現実にあると思われる自分の死に向き合って(死を覚悟して)生きるのでなければ、自分を生きたことにはならないと思われます。
「生」は、自分の死に条件づけられた自分の人生
通常の生と死の関係は、「生あっての死」という関係にあります。生物学的に見ればそうなります。
けれど、自分の意識にとっての関係で言えば、人は「自分の死」という意識を前提として生きているといえます。つまり、「自分の死」あっての「自分の生」となります。
単純化すれば、「死あっての生」となり、常識の流れに逆らった関係となります。
いつか訪れるであろう「自分の死」というものを、心のどこかで意識しながら日々生きているということであります。
自分にとっての生は、「自分の死」というものに条件づけられた生となります。
自分の死を意識した生(生きること)には、苦悩が伴います。