母と暮らした最後の365日

僕と佐渡のおばちゃんの文通

母が倒れた時、エスカレーター式に進学できる大学の付属の学校に入れさせてあげたかったと、遺言めいた思いを吐露され慌てたこと。高校生の兄が、海外にいて不在だった父に代わり僕の入塾の手続きに子供二人で行って、職員に訝しがられたこと。

塾には見放されそうになったけど、小学校の担任の先生が助けてくれたこと。加えて怖いと思っていた先生が予想外に優しかったこと。担任の先生は勉強だけでなく、受験のための生活指導までしてくれたこと。

母の友人宅に下宿して朝5時起きで頑張ったこと。

転院前の病院で、受験の秘密が病院中にばれてしまい焦ったこと。そして病院の関係者みんながお祝いしてくれたこと。

この1年近い長いストーリーを、佐渡のおばちゃんは何度も何度も聞いてくれた。中でも中学受験に関わる僕の一人暮らしを、影ながら助けてくれた人たちのエピソードがお気に入りだった。3食のご飯を作ってくれた母の友人。千羽鶴を折って励ましてくれた同級生たち。

受験の合格を知り、ささやかなお祝いをしてくれた、転院前の最初の病院の院長先生と主治医と看護婦さんたち……。一通り聞くと必ず「このご恩は宝物ね」と。

中でも担任の先生との出会いは「一生、感謝の気持ちを忘れちゃダメよ!」と喜び、「下宿先にいた、年下の女の子は可愛いかったかい?」「塾の子供たちとは、仲良くできましたか?」などと、たわいもない質問を織り交ぜながら、時折涙を浮かべ、最後は「よく頑張ったね」と必ずほめてくれた。