母と暮らした最後の365日
僕と先生の受験戦争
僕が小学6年生になった時、母は倒れた。
この時母は、我が子の将来が急に不安になったのだろう、留学でアメリカへ渡る直前の兄に、「あなたは自分の希望の大学に行けることになったから一安心。でも全く勉強しないあなたの弟はどうなるのか、とても心配」と、呟いたそうだ。
「こうなるとわかっていたら、エスカレーター式に進学できる、大学の付属の学校に入れさせてあげたかった」とも。この時既に母は、自分の命の行く末をわかっていたのかもしれない。
渡米のため間もなく母の元を去る7歳年上の兄は、僕を呼び、母の気持ちを伝えた。重ねて僕に聞いた。
「塾に通って中学受験に挑戦してはどうか」
「間に合うかどうかわからない。でもお前がチャレンジするなら、親父は不在だが、俺が代わりに連れて入塾させる」
僕といえば、学校から帰れば靴を脱ぐことなく、ランドセルを玄関に放り投げたまま遊びに行ってしまう、勉強とは無縁の子供だった。ましてや〝中学受験〟なんて1ミリも考えたことがない。
しかしながら、子供心にも、母の容態は普通じゃないことは理解はできたし、また遺言めいた母の思いを考えると、何とかしなければという気持ちにもなり、「行きたい」と返答した。
兄に連れられ、子供二人だけの進学塾訪問は、だいぶ〝訝られ〟はしたけれど、何とか無事に手続きを終えて塾通いが始まった。