母と暮らした最後の365日

僕と佐渡のおばちゃんの文通

それ以降毎年、佐渡のおばちゃんから近況を知らせる手紙と、佐渡のおばちゃんの家で収穫されたお米が届くようになった。

この手紙を読むことがとても楽しみで、読むたびに〝共に戦った戦友〟と心を通わせているような気持ちがして、喜んで返事を書いた。毎年お米が届く季節を、今か今かと待ちわびた。

手紙のやり取りは私にとっては、母を通じて育んだ友情を互いに確認し合うとても大事なひと時だった。

珍しく、いつもの季節にお米も手紙も届かない年があった。嫌な予感はしたが案の定、暫くするとご家族の方から、〝母が亡くなった〟との知らせが届く。知らせを聞いて大泣きしたが、ふとなぜか懐かしい気持ちが蘇る。

「あぁ、母が亡くなった、あの時と同じだ」

短い期間ではあったが、病院で過ごした佐渡のおばちゃんとの濃密な時間は、僕にとって佐渡のおばちゃんが、家族のような存在となっていたことに気づく。血は繋がっていないが〝大切な家族〟同様のかけがえのない存在。

今、僕は子供二人を授かり四人家族だ。子育ては特にうるさいことは言わず、家訓的なものもなし。ただ、周りに感謝する気持ちだけは大切にするように接してきた。

長男は3年前に就職。長女もまた今年社会人となった。そう遠くないであろう将来、彼らもまた家族を持てば同じようにこの点だけは継承してくれればと願っている。

どうなるかわからない将来のことではあるが、そうなるであろうと想像すると、母や佐渡のおばちゃんが喜ぶ笑顔が思い浮かび、幸せな気持ちになれるから不思議だ。

毎年お米の収穫時期になると思い出す、「佐渡のおばちゃん」との思い出。思い出せば切なさと、癒やされる気持ちが入り混じった複雑な気持ちとなる。その後にやがてこみあげてくる「出会い」に感謝の気持ち。

僕と「佐渡のおばちゃん」との心の絆は、家族同様、永遠だ。佐渡のおばちゃんと暮らした病室暮らしはわずか数か月です。しかしながら、時を越えて今なお、私の心の支えとなっている佐渡のおばちゃんとの出会いは、さながら大事な家族が一人増えたようなものです。

今でも家族の墓参りなどの行事のたびに、佐渡のおばちゃんのことを思い出し、必ず手を合わせています。