【前回の記事を読む】ある時、食事しながらケイコさんは僕にこう呟いた「私さぁ、あなたのママにはなれないけど、でも少しだけでも代わりになりたいな」

318号室の扉

遠い親戚

一緒の時間が増えていくにつれて、僕の気持ちにも変化があった。寂しかったり、嫌なことがあったりすると、溜めずに吐露していたのだが、自分勝手な解決を求めてだんだんわがままを言うようになったのだ。それがついには、ケイコさんの言ったことやしたことが気に入らないと、暴言を吐くようになった。なんでも受け止めてくれるような錯覚を起こしたのだろうか。次第に口喧嘩も増えていった。

ある日、久し振りに会館の外に夕食を食べに行こうと、誘われて行くことになった日のことだ。いつもだと、数軒の候補から僕が行きたいところを選択して決める。この日は珍しく行き先を話し合わず、連れていかれたのは〝焼肉屋〟だった。

前から行きたかったところだが、何度かリクエストしても「匂いがつくのは困る」と敬遠されていたのだ。恐らく、最近喧嘩が多くて、仲直り的に僕を喜ばせようと、ここに連れてきてくれたのだろう。にもかかわらず、僕の心になぜか意地悪な気持ちがむくむくと湧き起こる。

「今日は焼肉の気分じゃない」

「え~! せっかく予約したのに」

「焼肉以外がいい」

「でも食べ始めたらきっとよかったって思うよ。とりあえず入ろうよ」

「嫌だって、言ってるじゃん」

「じゃ、何がいいの?」

「わかんない」

「わがままね」

それ以降はあまりよく覚えていない。意地悪をしていたら、気持ちがますますエスカレートしてしまい、気がついたら青山通りで互いに大きな声で罵り合い、しまいには一人で歩いてアジア会館に帰ってしまった。

コンコンと、ケイコさんが318号室の扉をノックする。

「ごめんね、私の気持ち押しつけちゃって」

「許してちょうだい」

「お願い、ドア開けて」

「私、どうしたらいいの?」

僕はずっと無言だった。

「ボクの喜ぶ顔が見たかっただけなの」

その言葉を聞いた僕は、突然、

「ママの代わりなんてしてほしくないんだ!」、と叫んでしまった。

思ってもない言葉が口から出てしまい、自分でも驚く。暫く廊下はしんとして物音がしない。やがてケイコさんの遠のく足音を聞いて、僕は大泣きした。本当は違うのに。甘えたい自分の気持ちをどう処理していいのかわからなかったのだ。

その後、ケイコさんと会うとお互いぎこちなく手を振ったり、元気? などと、どうでもいい挨拶をかわして、なんとなくバツが悪い気持で、一緒に食事をするタイミングを失っていた。