318号室の扉

クラブデビュー

ほかの大人たちにたしなめられているのを察したのだろうか。せっかく覚悟したのにと、がっかりした気持ち半分、フロントの女性の気持ちを裏切らずに済んだ、という安堵の気持ちと半々だった。

それでもちょっと怪しい大人のジンさんは、僕の話をよく聞いてくれたし、会話はいつも楽しかった。

学校帰りのある日。

「おうボク!」

「話があるんだ」、と呼び止められた。

「俺、仕事が変わってね、大阪に行くことになった。明日、送別会やろう」

「初めて会った時にジュース飲んだ店あっただろう。夕飯食べたらあそこで!」

フロントの女性の顔が浮かび、一瞬、躊躇はしたが、これは〝2回に1回断る〟のではなくて、それ以降はない、〝最後の思い出作り〟だ。

すぐに決心すると、「わかった、行くよ」と返事した。

数か月振りに訪れたクラブの女性は、今回は怪訝そうな顔をせず、明るい笑顔で迎えてくれた。

「ジンさん、せっかくお友達できたのに寂しくなるわね」

「そうなんだよ。東京に未練はないけど、ボクと会えなくなるのは悲しいね」

「なんだか、彼女とのお別れみたいだね」

「確かに!」「ハハハ!」

みんな笑っているのに、僕だけ泣いた。

「なんだよ、明るくバイバイしようと思ったのにしんみりしちゃうじゃないか!」

アジア会館では、レストランで態度が悪かったり、ロビーで大勢で騒いだり、ジンさんたちは従業員たちに冷ややかな目で見られていたのは知っていた。でも、僕を大人扱いしてくれたジンさんが大好きだったのだ。

ジンさんとの出会いは「私の人生」の最初で最大の危機だったのかもしれません。小学生で「クラブ」デビュー、そんな子供は「世の中広し」といえども、多分私くらいではないでしょうか。悪い大人がいたものです(笑)。

でも実際は優しいお兄さんでした。無防備な少年でしたが、悪い道にそれることなく、つくづく運が良かったと思い出します。