遠い親戚
「一緒のテーブルで食べてもいいかな?」
「混んでいるから」と、話しかけてきた女性はケイコと名乗り、座ると開口一番僕に聞いた。
「ごはん、いつも一人で食べてるの?」
「うん、たいていはね」
「そう、私も」、そのあとは無言となり、食べ終わると「またね」「うん」と、さして会話も深まらず去っていった。
同じ3階に部屋を借りていたケイコさんは、318号室の前を通るたびに、扉越しに、「おはよう」とか「元気?」などと、声をかけてくれていたが、この日は初めて一緒に食事をして、極めて短いおしゃべりをした。
それでもこの日以降は、レストランでケイコさんと会うと、混んでなくても声かけあって同じテーブルで食事をした。ケイコさんは声をかけてきた割にはいつも無口だった。
それでも徐々に話すことは増えていき、実家は鎌倉にあること、通勤が大変なので東京で暮らしていること、芸能人のマネージャーを仕事にしているので(誰もが知る女優さんだった)、生活が不規則ということもあり、アパートは借りずここアジア会館で生活していることなどを教えてくれた。
毎日のアジア会館の食事は飽きがちだったので、そのうち、会館の外に出て、青山一丁目界隈のレストランでも食事をするようにもなった。その時はケイコさんの御馳走だ。「レストラン・ココパームス」、中華料理の「晋風楼」……。
子供には贅沢すぎるお店にも時々訪れ、華やかな世界を垣間見せてくれた。記憶をたどれば、食の世界に目覚めたきっかけはこの時からだろうか。おしゃれなお店をよく知っていて、子供ながらに感心したが、仕事柄というよりも、昔からこの世界に慣れ親しんでいるような雰囲気があった。
ある時、食事しながらケイコさんは僕にこう呟いた。
「私さぁ、あなたのママにはなれないけど、でも少しだけでも代わりになりたいな」
次第に僕は、ケイコさんと一緒の時間が増えていった。学校で必要になったものの買い物。おやつの仕入れ。特にアジア会館から散歩がてら歩いて行ける、青山通り沿いのスーパー「ユアーズ」がケイコさんのお気に入りだ。
輸入品がたくさんあって、見ているだけで楽しかった。でもそれより生活が不規則なケイコさんにとって、当時珍しかった24時間営業が最大の魅力だったのだと思う。
一度鎌倉に遊びに行ったことがある。海を見たりパンケーキを食べたり、雑貨のお店を覗いたり。夕方になって、かなり長い距離を散歩していた時、木造の2 階建ての家の前で突然立ち止まり、「ここが私の実家」と指さした。庭が広く、家というよりお屋敷のようだった。
「大きいお家だね!」
「でもね、広くても住んでて気持ちは窮屈だったの」
「だからずいぶん前に家飛び出しちゃったんだ」
「寄らなくていいの?」
「うん、家出同然だったからね。そのまま勘当されちゃったし」
ケイコさんの仕事は大変そうだった。出会った当初は無口だったが、段々口数は増えていき、時々僕にも愚痴をこぼし、「ごめんね、話聞いてもらって。これじゃ、ママの代わりどころか、ボクがいないと私が困っちゃうね」
それでもケイコさんは、僕が必要としている様々なことをできる限りこなしてくれた。そして基本、お互い寂しがり屋だった。
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