318号室の扉

ホテルアジア会館318号室

港区赤坂8丁目にあるこの宿舎が、国立病院での病室生活を終えた、僕の次の住まいだ。時は小学校6年生の卒業間際。母ががんで亡くなり、父は仕事で海外生活、おまけに7つ離れた兄はアメリカの大学に留学中。

まだ一人で生活できない僕に、父は一旦帰国すると、ここアジア会館を見つけ、「仕送りするから頑張れ」と、言い残して、再び海外へ戻ってしまった。

アジア会館は、政府の意向を受け、海外の研修生を受け入れる宿舎として設立された外務省の関係施設だったため、当時はホテルと名はつくが、質素な宿泊施設である。中でも318号室の部屋はベッドと机を除けば余分なスペースは殆どない。

トイレ・シャワーは部屋にはなく、フロア毎の共同利用。電話は各フロアの廊下に受話器が1台置かれ、外からかかってくると、部屋番号と名前を館内放送で呼び出され、受話器を取って交換手に繋いでもらう仕組みだ。

電話は、最初の頃こそ小学校の同級生がかけてくれたり、中学校に上がると、土日や、風邪などで学校を休んだ時など、クラスメイトが面白がってかけてきたが、なにぶん手間が面倒、そのうちかかってくることもなくなり、早々に学校の友人たちとの連絡は途絶えてしまった。

毎日の生活の寂しさを、少しでも紛らわそうと最初に試みたのは、部屋の扉を半開きにしておくことだった。

扉が開いていれば通りがかる人の大抵は中を覗き見る。全くの見ず知らずの人であっても、目が合えば会釈をしてくれた。たったこれだけでも少しは寂しさを紛らわせることができたのだ。

ところがこの「半開きの扉」が、やがて「会釈」を超え、次々と好奇心旺盛な大人たちを318号室に招き入れることになる。

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