佐渡のおばちゃんの、付き添いの仕事の期間は、母の残された命の時間となるであろう「ひと月」と、お互いに話し合っていたが、思いのほか母は長生きしてくれ、約束の期間がだいぶ過ぎたある日、「予定は過ぎてはいるけれど、お母さんのことが大好きだし、僕のことも気になるので頑張ってきた。

でも私の体調もそろそろ限界。子供たちからも早く帰ってきてほしいと催促も止まなくなっている。そろそろ田舎に帰ろうと思う」と、申し入れがあった。

正直「まだずっといてほしい」と、お願いしたかったけど、しんどそうな姿が気の毒だったのに加え、当時殆ど母の意識も終日なくなっていたこともあり、これまでの感謝の気持ちを伝えると、やがて佐渡に帰っていった。

それから数日。

教えてもらっていた住所へ手紙を書き、母が亡くなったことを知らせた。

話はまた少しだけ遡る。佐渡のおばちゃんの里帰りと前後して、ようやく父が帰国。長い期間、毎日の3度の食事を、病院食で賄っていたためか、やせ細った僕の体を見て驚いたようだった。翌日、「たまには美味しいものでも食べて、ちゃんと栄養を摂ろう」と、ステーキハウスに連れていってもらうことになった。

ところが出先で父は急に、「のんびりしようとしてもどうも落ち着かない。やっぱり食事は軽く済ませて、早めに病院に戻ろう」と、軽食に変更したランチを済ませると、予定を早めに切り上げて病院へとんぼ返りした。病院に戻って母と対面すると間もなく、母の容態は急変し、二人に看取られてそのまま亡くなった。

僕はあまりスピリチュアルなことは信じないほうだが、この時父は、まさに母からの「虫の知らせ」を受け取ったのだろう。息子の中学受験合格を聞いて喜び、父の顔も見て安堵して天国へ向かったのだと思う。