「いいことじゃん。そういうこときちんとする人いるよな」
「いるいる」
ここで、そういうまじめな人が馬鹿にされ、個人が悲しむような授業になってはいけない。
私は、「みんなだって、善い行いをするでしょう。そのとき、誰かが自分が善いことをしたのを見てくれて、褒めてくれたら素直にうれしいよね。でも、誰も善い行いを知らなかったら。平気でいられる?」
「悔しいね」
「ティッシュ拾った甲斐がないよね」
「面白くねえなあ」
「俺は、初めから拾わないと思うけど」
「君らの中には、習い事を頑張っている人いるよね。でも、その人たちは、習っていることを自慢するかな。また、習ったことの発表で自慢するかな。しないよね。孔子は、そんな態度を薦めているんだよ。自分を高めることを人が認めなくても平気でいられるって、すごいことなんだ」
生徒の一人が言った。
「好きな人ができたとか、善いことをやったとか、べらべら言う人はだめだね」
生徒に言われるまでもない。私があのゴルフ美人を好きになりかけているなどと、誰に言えるものか。
漢文の時間だったが、つい彼女のことを考えてしまった。私は、小倉百人一首を思い出した。壬生忠見(みぶのただみ)、
「恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか」
「振られるまでの命ともがな」とも思った。
「振られるとも、命絶つよなわれにはあらねど」1週間が早く過ぎてくれと祈った。
八百屋お七は火事の時に男に会ったというが、自分は休みの日に彼女に会えることを期待した。火事を待っていてはいけないけれど、私は休日を心待ちに過ごした。
【前回の記事を読む】ゴルフ練習場で気になっていた美しい女性。「お隣で一緒にどうですか」と声をかけてみたところ…