第2章 論語講義

次の週ずっと、私は次に彼女が練習に来る日を聞かなかったことを悔やんだ。授業をしていても、先週の土曜日のことを思い出しては、幸せな気分になっている。

「……論語では、『学而第一』の冒頭に非常に含蓄のある言葉を持ってきています。含蓄があるというのは、あぶったスルメみたいなもので、噛むほどにいい味が出るということです」生徒が次々に話し出す。

「先生、いまどきスルメは食べないんじゃないですか」

「いや、マジ旨いっすよ」

「アタリメとか、エイヒレとかってヤバいっすよ」

「話がそれた。論語に戻ろう。ここでみんなに質問です。自分がすごく頑張って素晴らしい知識や能力を身に付けたのに、誰からも認められない。また、それなりの地位が与えられないとしたら、どう思うだろう」

「悔しいです」

「私、自分の能力をアピールします」

「どうやってアピールするの」と、私は聞き返す。

「何かのオーディションを受けるとか。生徒会長に立候補しちゃうとか。お母さんに話すとか」

「立川さんの考えは積極的でいいな。ところで、孔子が生きていた時代は学問を修めた人は、皇帝から認められ、政府の高官として活躍したのです。

高官というのは、位の高い役人ということです。今で言ったら総理大臣とかになったのだよ。地位と、それなりの報酬もあった。ところが、そんな世の中で、能力があり、高い徳を身に付けても出世できないとき、世の中を恨んだり、憤ることがないとしたら、立派なことだということです」

「先生、それって昔のことでしょう」

「今の社会に置き換えて、考えよう。君らが、道にテッッシュが落ちているのを見つけたとしよう。千円札が落ちていたら、拾うよな。でも、ティッシュだ。これをどういうわけか拾ってゴミ箱に捨てたとする」