四 パスカルの庭

「そうです。ここは無限です。ある意味では、小さなバザーにすぎませんが、でもやはり無限なんです。一軒一軒見て行こうとすると、それは無限になります。店の数が無限であるということよりは、むしろ一軒の店自体が無限なんです。

無限を含んでいるんです。すでにお気づきになったかと思いますが、一軒の店だけで、そこの店の品物の数が無限なのです。見れば見るほど見えて来るんです。言葉を尽くして品物を数え立てようとしても、言葉では言い尽くすことはできず、数え切れるものではありません。

ですからここは見始めたら切りがありません。たとえば、極大を見る。そうですね、夜の星空を見るとします。肉眼でも数え切れないほど星が見えています。ところが見ようとする人間の欲望に駆られて、拡大望遠鏡を使って見ますと益々星は見えて来ます。

そして望遠鏡をさらに拡大し続けて行きますと、星の数は無限大に広がり、無限に増えて行きます。数え切れない、言葉をもって言い尽くせない無限に出会うことになります。今度は逆に極小を見る。つまり、肉眼では見えないような物を顕微鏡を使って見ようとします。

顕微鏡を拡大して行きますと、一個の微小物はどんどん大きくなり、その微小物の細胞の中にさらに数え切れない細胞が犇(ひし)めき、連なり、並び立ち、集合し、絡み合い、重なり合って、雲集しているのが見えて来ます。

つまりは、極小の世界にも数え切れない、言葉をもって言い尽くせない無限に出会うことになるんですね。それと同じです。見るとは無限世界を出現させることです。

無限迷宮を出現させることです。ここはそんな無限宇宙の見本市のようなところ、夢幻迷宮の見本市のようなところなんです。

偉そうなことを言ってしまいました。このバザーの無限、このバザーの豊饒を軽く楽しんでくださればと思っておりました。

無限の内のたった一つでも無限ですから、そのたった一つでも楽しんでくださったかと、豊饒の内のたった一つでも豊饒ですから、そのたった一つでも楽しんでくださったかと、そう私思っておりました。いかがでしたでしょうか。

さあ、それでは、行きましょうか。お腹が空いて来ておりませんか。この国のレストランにご案内いたしましょう」

ぼくには信じられない。馥郁(ふくいく)として蘭の花の匂う、半透明のシルクのサーリーのごとき、薄物を羽織り、そこを通してボッチチェリ描くところの春の精を思わせる、淡い、かすかにピンク色の素肌がしなやかにうねり、きらきらと光り揺らめき続ける白い若々しい女体から、およそ想像を絶する言葉が出て来るのである。

姿形は十八歳か十九歳の少女なのに、言葉を発する心は八十歳の老女のそれなのか。あるいは姿形はすらりとした乙女なのに、心は八十歳の哲人のそれなのか。