四 パスカルの庭
時折、真上の陽光を受けて、噴水から飛び散る水煙の中から淡い虹が立つ。そしてふっと噴水がやみ、水煙が途絶えた後も、虹はほんのしばらく同じ中空に、淡い幼い竜の抜け殻のように漂っている。やがてまた噴水が立ち昇り始める。
池を巡って四辺に設えられた石の長いベンチには、何人もの同じ白いサーリーを着た、年齢もさまざまな女性たちが坐って、ほとんどが本を前の膝の上に置いて読んでいるごとくである。
「ここはパスカルの庭と呼ばれております」
ふいに前を行くセイレイ嬢が言った。ぼくの方に振り向けた横顔がかすかに微笑んでいるように見えた。その謂われを聞こうと思う間もなく、
「水の音を聞きながら、ここを歩き、ここに坐っていると、人は考え深くなるのですね。仁者は山を楽しみ、智者は水を楽しむと言います。水は自然の思索です。水の音は自然が思索をしている音です。ですから水を見つめ、水の音を聞くと、自ずから考え深くなるんです。そうお思いになりませんか。
ここナーダの国には、特に、この南島には、人々の家の中にも人々の集まる公園にも、このような池と噴水のある庭がかならずあって、みんなパスカルの庭と呼ばれております。水が思索を誘い、思索が水を求めるからです。
ですから、この国の人々はどんなに忙しくとも、いいえ、この国、この南島には、多忙というものはありません。南島は多忙というものから解放された歴史上唯一の国かもしれません。したがいまして、どんなに忙しくても、というよりは、どんな時にもと言った方がいいかもしれません。
かならず、一日に一度は、いずれかのパスカルの庭にやって来て、歩きかつ坐って、噴水の音に耳を傾けるのです。人によっては一日に千回ここの回廊を歩き巡るものもおります。すでに千回講というグループもできております。ペリパテオ・グループと呼ばれております。一種の逍遥派ですね。噴水の音を聞きながら、ただ経巡るのです。