三 バザー・ナーダ(聖書の木を売る店など)

「それはこっちの言うセリフですよ。さあ、どうなんです」

「読んで字のごとく、聖書の木です。毎日、水をやり、肥料を施し、最低十時間日向に置き、そうやって十年、一個の花が咲き、その一個の花から一個の実がなり、その一個の実を一年と七カ月よく乾燥させて干しブドウのごとくにし、三日間に渉る精進潔斎の断食の後に食するのです。

そうするとです。その一個の実の栄養分のすべて、細胞のすべては食した者の頭脳の言語中枢に吸収されて、ある朝突然、それは一年後か十年後であるか分かりませんが、その人は聖書のすべてをマタイ伝から始まって最後のヨハネ黙示録に至るまで一言一句違わずに口で言い、筆でもって書きしるすことができるようになるのです。

そして小学生の漢字丸暗記とは違って、言葉の意味も内容の意味もすべて理解した上で、すらすらと聖書の言葉を言えるようになるのです。生きながらあなたは聖書になるのです。

しかしながらその木から実がなるかどうかは分かりません。それを買ったものの丹精と努力によって実現するのです。一番大切なことは聖書の木を信じることです。この木から実が生じるということを信じることです。

しかもですね、ここに一つの奇跡があるのです。いや、正確に申しますと、奇跡があったのです。

元々、原産地はシリヤのオアシス地帯でありまして、三千年前から、いや、学者によっては、五千年前からすでにそこにあったと申しておりますが、その木の実を食した者の中から預言者エレミアが生まれ、エゼキエルが生まれ、やがてはあのイエス・キリストが生まれたのです。

そして苗木なり実なりは後にスペインに伝えられ、イタリアに伝えられて、そこで食した者の中に、あの聖女テレジアが生まれ、聖フランチェスコが生まれたのですね。

したがいまして、将来、この木の実を食した者の中から、新しい二番目のイエス・キリストが、新しい二番目の聖女テレジアが、新しい二番目の聖フランチェスコが生まれて来る可能性もある訳です。