「聞いてくれるかい。そして嫌いにならないでおくれよ」 

黒猫さんも三毛猫さんも、そしてカラスさんも凍り付きました。
 
ぎんちゃんは続けます。
 
 「黒猫さんと三毛猫さんには、過去に子猫を捨てた話はしたよね。本当に辛かった。まだ他にも懺悔(ざんげ)があるんだよ」

黒猫さんは、やっぱりと思いながら言います。

「なんだよ! 犬にも殺生したのかい。あまり聞きたくないね」

ぎんちゃんは静かに決心して言います。

「今日は懺悔したいよ。聞いておくれよ」 

次に、三毛猫さんが冷たくぎんちゃんに言いました。
 
「犬にどんな酷いことをしたの、早くおっしゃいな!」 

予想以上にその場が険悪になってきて、笑えない場となりました。ぎんちゃんが懺悔を始めます。

「小犬が捨てられていて、可哀そうだから家に連れて帰って育てた。育て方が悪かったのか吠えてばかりだった。私にもさほど懐かない。最悪なのは、祖母を見ると狂ったように吠えまくる。祖母は半年後に亡くなったが、この犬が吠えまくるのが影響したのではないか、と両親が言い出してしまった。

一年後に狂犬病じゃないかと親が心配して、保健所に相談して殺処分することになった。保健所の人が来て、犬をこの麻袋に入れるように私に指示をする。暴れているから私でないと入れられない。そして、その袋をしっかりと抱き抱えているように言われる。そして、注射針を袋の外から打ち込む。

打つや否や、犬は鳴くでもないが、大きく痙攣(けいれん)して死んでしまった。裏の畑の脇に穴を掘り、その袋ごと埋めて墓にした。家に帰るも涙が止まらない。本当に悪いことをしてしまったと、ただ泣いていた。あれ以来、猫と同じく犬も飼うことはない」

黒猫さんは、がっかりしながら聞きました。
 
「なんで野良犬を家に連れて来たんだい。犬だって自由がいいに決まっているだろう」 

ぎんちゃんは静かに説明します。

「黒猫さんが言ってた通りだけど、野良犬になると狂犬病の発症があるから危険視される。だから、野良犬がうろついていると、いつかは保健所の人に捕まり殺処分されてしまうんだよ」

カラスさんが諦めの感じで言います。
     
「結局、ほんの僅かの命拾いかよ。野良犬になってしまうと人間嫌いになるだろうから、育てるのは難しいと思うよ」

ぎんちゃんは付け加えて言います。
 
「そうだね。もっと犬のことを理解し、訓練すればよかったのかもしれない」 

黒猫さんがきっぱりと言います。
 
「可哀そうという気持ちはありがたいが、その後の面倒というか付き合い方は難しい。
いきなり野良犬が飼い犬には変わらないよ」カラスさんも捲し立てます。
 
「人間は、生き物に、可愛いとか可哀そうという一方的な感情で接するね。その対象となった犬や猫は、本当に不幸だと思うよ。人間の気分次第で不幸にもなるからね」さらに筋の通ったことを言います。

「全く人間中心の世の中だぜ。生き物への尊厳もない。昔の人間は、生き物に随分と気を使ってくれていたと聞いている。農作業で生き物を殺してしまったら、その供養をしたりする風習があったみたいだ。今の人間どもは、共存を忘れてしまったのかもしれない。農業が主たる仕事ではなくなり、完全に生き物と人間が分断された。これは困ったことだと思うよ。それでいて、人間は自然が大事だという。それは自分たちのためだけにね。本当に馬鹿だよ」

暗い雰囲気に包まれて、皆が呆れ始めています。
 

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