パンドラの箱が開いた
退屈していた。
とにかく毎日が退屈だった。夫は今度、いつ帰ってくるのだろう。盛りのついた猫のように、ただ異性を求め続けた。優し気な言葉、写真で見る限り華奢な男。この人なら大丈夫かな。直感でそう思った。すぐには会わない。それがあたしのやり方。
毎日毎日、絶え間なくメールを交換して、毎晩毎晩、電話で話し続けた。あたしの求めるのは、お金ではない。あたしの求めるのは、肉体でもない。かといって、今の生活を手放して、ほかの誰かと所帯を持ちたいわけでもなかった。ただ、ずっと若くに結婚して、夜の仕事を続けてきたあたしは渇いていた。
夫とは、激しく愛し合ったわけではない。なんとなく、双方の親の勧めで、気づいたら結婚していた。きっと三年ぐらい我慢して、もう無理だったと言えば許してもらえるだろう。ほとぼりが冷めたら、実家に帰ろう。食費分ぐらいアルバイトすれば払えるし、実家もきっと居心地の悪いところではない。
父と折り合いが悪くて出てきたことを、すっかり忘れてそのときは自分に都合よく考えていた。なんとかなるだろうと。ときに人生にはなんともならないこともある、自分の意思に反してとんでもないところに流されてしまうこともあるのだ。
その頃のあたしは、すべてにおいて楽観的で、いろんなことに目をつぶって生きてきた。将来に対して、悲観は微塵もなかった。これから起こる辛苦を想像することもないほど、どうしようもなく若かった。
その男とは、もう一か月ぐらい、夜ごとに無料アプリの画面越しに逢瀬を重ねた。まるでお互いがずっと昔からの知り合いみたいに、その男が、「これは運命だね」と言うと、うわべでは打ち消しながらも、あたしは内心うれしかった。「そんなわけない」、そう思いながらも、「彼としばらくつき合えて、一生の思い出ができればいい」などと、ふわふわの綿菓子のような夢を見ていた。
ある日、男が痺れを切らしたように言った。
「そろそろ僕たちの関係を先に進めないか。キミに会いたいんだ」
あたしが同意すると、
「仕事が詰まっていて、夜中しか会えない」
と彼は言う。このときに気がつくべきだったと、今、思ってもあとの祭りだ。