記事にオランダ人捕虜がどれくらい死んだのかの記述はなかった。また、その後謝罪や補償がどうなったのかもわからない。
でも、この事実を知っていれば私はダム広場を通るとき祈りくらいはささげられたのではないだろうか。オランダの人の怒りが和らぐのは、天皇、皇后両陛下のお辞儀だけより、一般の人々の日常現れる気持ちではないだろうか。
そうであるならば、私たちは知らなければならない。そうであるならば、私たちは伝えなければならない。そうであるならば、私たちはわかるように行動しなければならない。
知らない人が多すぎる。知る状況がなさすぎる。私は知らないことが多すぎる。
アンネの日記を読み、アンネの言動に感動し、ドイツ人を非難することはできる。日本人が何をし、何を反省しなければいけないのか。被害者としての日本人はもうよく知っている。誰でも話せる戦争だから。
でも、話せない加害者の部分を反省しなければ、周囲の被害を受けた国の人は納得しないし、自分自身の成長にもつながらない。戦争を身近に感じている今だからこそ、正しい歴史を知りたいという思いが募る。繰り返さない方法はそれしかないのだから。
【前回の記事を読む】ボートツアーで表示されたタイを中心とするアジアの地図を前にガイドが語ったことは初めて知る日本の歴史だった