つまり他人事としてかわいそうだ、許せないという思いを強く持つ。この時はアンネの才能を尊敬し、その少女が若くして死ななければならなかったことをかわいそうだと思った。多くの人が持つ感想と同じように。そしてまさに私にとっても他人事だった。

この出来事と、オリエント急行でのガイドの話がつながったのは、2018年10月11日だ。

いつものように新聞を広げていた。一番後ろから順に読んでいくと、3面に載っている次のような記事が目に留まった。

(平成と天皇)第8部・外国訪問:中

手紙に応えた皇后さま オランダ女性「助力に感銘」 

朝日新聞の記事の概略は次のようになる。

2000年5月下旬に、天皇、皇后両陛下がオランダを訪問した。そのときのアムステルダム、ダム広場での出来事。

第二次世界大戦中、旧日本軍がオランダ領(現インドネシア)を占領し、オランダ人を収容所に抑留した。そのとき、男性は捕虜として強制労働させられ、女性は慰安所に連行された人もいた。

その中に旧日本軍将校との子二人を産んだ女性がいた。その子を探してほしいとの手紙を皇后様宛に出したところ、助力を申し出てくれたが、見つからなかった。ただ手紙を出した女性は助力を申し出てくれたことに感銘を受けた。

また、2000年当時、元捕虜や抑留被害者らが毎月1回、ハーグの日本大使館前で謝罪と補償を求めるデモを続けていた。そのような中で両陛下は戦没者慰霊碑のあるダム広場に行き、戦没者への供花に臨んだ。

ダム広場には数千人が詰めかけていた。花輪をささげて黙礼した陛下は1分以上も頭を上げなかった。軍楽隊が演奏を始めてもそのお辞儀は数十秒続いた。

外務省欧亜局長(当時)の東郷和彦さんは「祈りの気迫が広場を支配していた」と話した。皇后様は翌年の新年に際し、次のように詠んだ。

慰霊碑は 白夜に立てり 君が花 抗議者の花 ともに置かれて