第4話 強制的トリクルダウン

4月27日

ホテルからリキシャが迎えに来てくれた。引いてくれるのが申し訳ないようなおじいさんが一言もしゃべらず風を切って橋の上を進んで行く。橋を渡れば川岸に屋台があり、観光客兼巡礼者であふれている。

荷物を置くとすぐに川沿いの散歩に出た。人、人、人、そして時々牛。牛の通行を邪魔せずリキシャが走り抜けていく。路地に入るとそこはバザール。定番の土産物、食べ物、そしてなぜか毛布もたくさん売られている。

こんなに暑いのになぜ毛布なのかと不思議だったが、その答えは翌朝あっさりと解明された。

6時から儀式が始まり、僧侶たちの読経、たいまつを使った祈り、人々の歌、祈り、火がたかれてその中で沐浴する人、大勢の人たちと一緒になり信者でない私もそれなりに荘厳な雰囲気を味わった。その人波を縫うように火をともしたお盆を持った人が寄付を集めていく。

来てよかったと思った。これが見たかったと思った。しかしそんな思いは翌朝の光景によって、どれほどのものではないとくつがえされた。

4月28日

日の出は、5時半ごろだったので、まだ外に出るのは怖いかなと、5時ごろ窓の外を覗いてみた。誰もいないかと思ったが大間違いで、薄明るい中大勢の人の動きが川沿いにあった。

私は大急ぎで散歩に出た。川沿いに寝ている人たちもいた。ここで昨日たくさん売られていた毛布の意味がわかった。コンクリートの上に毛布1枚で寝ているのだ。

多分多くの人が宿など取っていないのだろう。そのあと駐車場にテントを張っている家族、車で寝泊まりしている家族をたくさん見た。

朝日の昇らぬうちにシバ神の像まで歩いてみることにした。帰ってくる途中に日が昇った。日の出というにはやけに白っぽいものだった。遠くの空は少し曇っているのか。昨晩儀式が行われた中心のあたりに戻ってくるとすでに大勢の信者が沐浴していた。

楽しそうに手をつないで水に入る若いグループ。親に無理やり川に入れられ冷たいと泣く子供。作法に従って一人静かに水を浴び、祈る人。川の水は現地の青年や子供がガラス板を持って小銭を探すくらいにきれいで澄んでいる。

すると、橋の上から沐浴する人々を一心に見つめている青年に会った。じっと動かない、重そうなバッグを肩から下げているのに身じろぎもしない。一体何を見つめているのだろうと私も川を見下ろしてみた。