たくさんの人たち。しばらく眺めていると何故だかこみあげてくるものがあった。涙がにじんでくる。嗚咽すら漏れそうになった。恥ずかしくなって橋を離れようとした。ふと青年を見ると彼はまだじっと川に入る人を見つめている。
私は一体何に心を動かされたのだろう。考えてもわからなかった。人間って素晴らしいと思った。人間は気高いとも思った。しかし、どうしてそう思ったのかはいくら自分に聞いてみてもわからなかった。ただあの青年も似た気持ちで眺めているのだろう、とそのときは思った。
しばらく川沿いを歩きながら沐浴場を眺めていると、はっと気づいた。彼らが神を信じ切って祈りをささげている姿に感動したのだ。シバ神を信じて、聖なる川に身を沈めて、自らの生き方を問うている姿に感動したのだ。
けがれを清めてくれる神、これからの心の安らぎを与えてくれる神を信じて身を委ねる様子を見た。それは人間の気高さそのものだった。
海外を旅していると、宗教は何と聞かれることがある。特にないと言うと、怪訝な顔をされる。日本人は仏教ではないのかとさらに聞かれても、特に信じているほどではないと言わざるを得ない。
あの怪訝な顔の中には、では何をよりどころにして生きているの、何があなたを救ってくれるの、何に祈りをささげるの、何に許しを請うのと、いくつもの疑問が浮かんでいるのだろう。日本人の多くはそんなもの何も持たずに何となく生きているような気がする。恥ずかしいとも、許されないとも感じないままに。
沐浴する人の姿には自分の生き方そのものを問うて、許しを請い、より良きを願う敬虔な精神が見えた。何も信じるものがない私には想像すらできない崇高な世界がそこにはあった。
4月29日
インドの地下鉄はまだ新しく、清潔だ。この日は地下鉄を利用して、ジャーマーマスジットに行った。一人で聞きながら乗り換え、歩いていく道は新鮮だった。タクシーで行くより効率は悪いがいろいろなものに触れることができて楽しい。
午後は「ザングーラ」というボリウッドミュージカルを観た。ミュージカルは文句なく楽しかった。劇場の外もテーマパークのようで華やかだった。現金は使えず、クレジットカードしか使えない。 アイスクリーム一つを買うにもクレジットカード。
帰りも地下鉄で帰ってきた。この地下鉄には「あなたより席を必要とする人がいたら、席をお譲りください」と英語の表示があった。シンプルでいて的を射ているいい表現だと思った。
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