第3話 イースタン&オリエンタル・エキスプレス

2018年3月5日

部屋に帰れば、もちろんベッドの支度がされタオルも交換されていて部屋も片付けられている。部屋付きのCAがいるのだが、どこで見ているのかわからないほど、部屋を出るたびに室内はきちんと整理され、水が補充され、タオルが取り換えられている。

こういうところは高級なホテル以上だ。香水を含んだ生花のおもてなしもある。ヨーロッパを走る列車の客室と違って、客室内にバスルームが備わっているのもうれしい。

ではおやすみなさい。

3月6日

この日のクラシックツアーは午前中に行われる。朝食は部屋に運ばれるので時間差はない。午前8時半、カンチャナブリの橋を過ぎたところで下車し、まずはボートツアーから始まる。

幅の広いボートが行きつ戻りつしてクワイ川に架かった橋の上のオリエント急行を見せてくれる。ちょうどよくオレンジ色の袈裟をかけたお坊さんが橋の真ん中でお経をあげていた。オリエント急行の演出なのかと疑ってしまうくらいのシチュエーションだ。

ボートの後ろには、水やおしぼり、クッキーを並べた係員が待機している。至れり尽くせりだ。美しい景色をゆっくりと見せながらボートが進んで行くと、何やら前方にスクリーンやマイクなどがセットされ始めた。

ボートのへりに立って景色を楽しんでいた乗客たちも静かに席に座り始める。そして前方のスクリーンにはタイを中心としたアジアの地図が表示された。

ガイドが前に立ち、日本の侵略の歴史を語り始めた。英語だったのであまり理解できなかったが、Japan、Japaneseという単語はひっきりなしに聞こえ、彼の持つ差し棒はアジア各地に広がっていった。

橋の作られた経緯は日本のビルマ(現ミャンマー)侵略のためで、そこで使われた労力はイギリス人やオランダ人の捕虜のものだった。その労働条件はいかに過酷を極め、多くの犠牲者が出たかを彼は語った。

そこで聞いているのはほとんど欧米人だった。彼らの中には鼻水をすする者もいた。ほかには中国人のグループと日本人が二人。後ろの方に座ってよかった、と心底思った。

私自身もそんな歴史は不勉強で知らなかった。日本と英国が現地の人の生活のために協力して橋を架けてあげたのだろうぐらいにしか思っていなかった。侵略のための橋だったのか。大勢の捕虜の人がそのために死んだのか。