そのあとの博物館でもじっくりその様子を見せられ、博物館を出ると、過酷な環境下で亡くなった数千のオランダ人捕虜のお墓が整然とあった。

そのときは日本人だけが悪者にされていて、それ以前に行われたであろうヨーロッパの人々の搾取には触れていなかった。私は何も知らないことを知った。第二次世界大戦でどんな事実があったのか。韓国の一部の人、中国の一部の人がなぜ日本を敵対視するのか。

ほかのアジアの人が日本からどんな苦しみを強いられたのか。私が知っている戦争は、日本人が原爆で殺されたり、爆弾で家を焼かれたり、飢えに苦しんだ戦争だけだ。

それも事実だろう。しかしまだ知らない事実、誰も語らない事実がたくさんあるのだろう。オリエント急行に乗ってこんなことを考えさせられるとは思ってもみなかった。私が知ったのは欧米人が知りたい事実だったのだろうと今は思うが。

そんなことを思ったのはそのときだけで、私はその後の列車の旅を存分に楽しんだ。

話は少し逸れるが、このガイドの話を聞いて感じたことを、私は後に思い出すことになる。その話をするためには、さらに昔の記憶を引っ張り出してくる必要がある。少しだけお付き合いいただきたい。

2015年11月7日、私はアムステルダムにいた。ホテルを早めに出て、中央駅からまっすぐの道をダム広場で右に折れた。ダム広場ではエルキュール・ポアロが出てくるような時代のテレビドラマか映画の撮影が行われていたので、大きく回らなければならなかった。

そして、開館前のアンネ・フランクの家の近くの行列に並んでいた。30分前で、もう100人くらいは並んでいる。列はどんどん延びていく。寒い日だったがどうしても見学したかった。

9時が開館だったと思うが、運よく最初に入ることができた。中はそのまま保存され、ところどころにアンネの日記の抜粋がオランダ語かドイツ語と英語で張られていた。

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