父は五人きょうだいの末っ子で三男だったが、二人いたはずの兄は、いずれも幼少の頃(二歳と六歳だったと聞いている)に病気で亡くなっている。

ゆえに無事に大人にまで成長した唯一の息子であった父は、母親(私の祖母)にとても大事にされて育った。

父のすぐ上の姉も十八歳の頃に肺結核で亡くなっており、父自身も喘息を患っていたので、父の家系の体質はあまり良くなかったと思われる。

父は学徒動員により召集され、軍隊には入ったが、身体検査で引っかかったため、外地へ送られることは免れた。

戦時という特殊で過酷な時代において、二十代前半の若い男性が戦場に行かずに済んだことは、とても幸運なことだったのではないだろうか。悪運が強いというか、父の体質の悪さも、まんざら悪いことばかりではなかったように思う。

祖父が家庭を顧みなかったこともあり、祖母と父との母子関係はとても強いものであったのだろう。しかも、祖母は、可愛い盛りの幼い息子を、立て続けに二人も亡くしており、祖母にとっての父は、一人息子も同然である。

梵志の家に、一般的な他の家とは違う〝歪み〟のようなものが生じてしまったとして、その原因を探っていくと、父の二人の兄たちの早すぎる死にたどり着くように、私には思える。

幼い我が子を二人も失った祖母の悲しみがいかほどのものであったかは、私も母親なので想像することはできる。そして、その深い悲しみを紛らわせるために、祖母は異常なほどに強い愛情を父に注ぐようになってしまったのではないだろうか。

ほとんど溺愛といってもいいような祖母の愛情を一身に受けて、父は育ったのではないかと思う。

そんな母子のところに、突然、母が割り込んできたのだから、トラブルが起きないはずがない。それでなくても、ほとんど身一つで嫁いできた母のことを、祖母は快く思っていなかった。しかも、祖母はとても気性の激しい人だったので、いつも母と張り合うようになった。

母から聞いた話である。新婚時代に、父から指輪を買ってもらったところ、そのことを知った祖母が、「私にも買うてェー」と父に叫んだというのだ。事実だとしたら、呆れる話である。

母が服を買うと、すぐに祖母も着物を買っていたとか。また、少しでも母に気に入らないことがあると、すぐさま、そのことを近所の人にしゃべりに行っていた。

母は温厚な性格で、また若いこともあり、祖母のことが恐ろしいだけで、ただ耐えるしかなかった。父は毎日、日記を書く習慣があったのだが、二人の間の板挟みから、苦しすぎて日記を書くことができない時期があったと話していた。

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