【前回の記事を読む】大学の先生だった父。親戚は皆ある程度レベルの高い大学に行っていたなか一浪して何とか中堅クラスの大学へ入った私

両親の結婚

私は大学時代に下宿で使用していた扇風機を、卒業時に後輩に譲った。一見、換気扇みたいなボックス型の扇風機で、形は珍しかったが、首を振らないので使い勝手は悪かった。

その扇風機は親が持たせてくれたものだったので、譲る際に父に電話をして確認したのだ。多少、渋ってはいたが、最終的に父が譲ってもいいと言ったから、私は後輩に譲ったのである。

しかし、後で気が変わったのか、父はそのことが気に入らなかったようで、私がその扇風機を持って帰らなかったことを何度となく責めてきた。

結婚して出産した後、実家に帰っていた時に、またその話を持ち出してねちねちと責めてきた時は、私も堪忍袋の緒が切れた。

赤ちゃんを膝の上に抱いたまま、腹の底からしぼり出すような大声で、私は父に向かって怒鳴っていた。

「いつまでも同じことを何べんも言うなーーーー!!!」

私の人生で、これほど腹筋を使って大声を出したのは、後にも先にもこの時だけである。この時は、さすがの父も黙っていた。

母はそばで聞いていたが、私の大声に圧倒されたのか、少し苦笑いを浮かべながら、「もう、ええやん」と、一言、言った。

この時、私が父に向かって強気で怒鳴ることができたこと、そして父が私に何も言い返さなかったのは、私の夫が近くにいたからだと思う。

夫は私たちと同じ部屋にはいなかったので、私たちの会話は聞こえなかったと思うが、同じ屋根の下に夫がいたことは大きかった。私側の人間、しかも若くて元気な男性がそばにいたから、父もあれ以上言えなかったのだろう。