両親の結婚

大学の先生で、一応、教育者だったせいか、勉強に関しても厳しかった。いつも本を読めと、口うるさく言われていた。

子どもというものは、放っておいても読みたくなれば自分から読むもので、適度に薦めるのは効果的だと思うが、過度にくり返し、命令口調でやかましく言われてしまうと、逆に読みたくなくなるものである。

私は、きょうだいの中では一番、自己主張が強くわがままだったので、父への反抗心から、(本なんか絶対、読まん)と思っていた時期もある。

学校の勉強も全然といっていいくらいしなかった。そんな私には父も手を焼いていたと思うが、女の子で末っ子だったせいか、少しいい加減なところはあったようだ。また、父は世の中の大部分の人が大学へ行くと思っていたらしい。

大学の先生だから仕方がないという見方もあるが、私は、大学の先生というのは、固定観念にとらわれることなく、世の中のことを様々な角度から客観的にとらえることのできる柔軟な頭の持ち主であるべきだと思う。

実際、全ての大学の先生がそうだとは言い切れないが、父に、そのような柔軟性はなかった。大学へ行かない人は、父の中ではほとんど人間ではないような扱いだった。

確かに父方、母方、いずれの親戚も、戦後生まれの人は、全員、大学へ行っていた。そんな環境で育った私も大学へ行くのが当然のことで、大学へ行かないという選択肢は初めからなかった。

勉強が好きな子どもなら、この環境はむしろありがたいし、恵まれたことだが、学校の勉強が嫌いな私のような子どもにとっては、プレッシャー以外の何物でもなかった。

しかも、親戚は皆、ある程度、レベルの高い大学に行っていたので、大学へ行かないことはもちろんのこと、あまりレベルの低い大学へ行くことは、親戚中から白い目で見られそうで、私自身、それだけは何が何でも避けたかった。

姉も兄もそこそこの大学へ行っていたので、自分の番が近づいてくると、本当に進路について悩むようになった。

紆余曲折あり、一浪して何とか中堅クラスの大学へは入れたが、私はただ単にいい大学へ入ることだけを目標にしていて、将来のことまで考える余裕はなかった。