【前回の記事を読む】「恥ずかしいの? まだまだ子どもやと思っていたのに」父の言葉が、風呂場を“恐怖の場所”へ変化させた

両親の結婚

父は七十二歳の頃に軽い脳梗塞を患い、その後、回復するのだが、この時の病気を境に性格がかなり変わった。それまではとても神経質で些細なことでもすぐ怒る父だったが、この脳梗塞を患った後の父は、細かいことがあまり気にならなくなったようで、比較的、穏やかな性格になったのだ。しかし、考え方そのものは、変わっていなかったと思う。

父より二、三歳年上の姉(みいちゃん)が記した日記が残っている。

みいちゃんは、一九三七年七月三十日、十八歳でこの世を去るのだが、その日記の中に、少年時代の父の性格を的確に描写した文章があった。一九三六年九月五日の日記である。この頃、みいちゃんは療養中で、ずっと家で寝たり起きたりの生活を過ごしていた。

九月五日(土) 晴

(前半は省略)

お晝、麦茶がまだなまぬるいので母が洗面所へおいとくやうに云はれたのでおいといた。それからしばらくたって母が遠くで麦茶を冷蔵庫へいれるのならーーーーと云っていられたが私にもよく聞こえず、はるちゃん(女中のこと)に云っていられるのだろうと思ってだまってゐた。

それから二、三時間たってから、不意に母が牛乳も麦茶を冷蔵庫へいれるのなら一緒に頼むといっておいたのに、みいちゃんいれとかなかったのねといはれるが、何も聞いてゐない事だし、若し牛乳の事もきいてゐたら私の事だしすぐいれたらうに。

弟はさういふ時にはぬけ目がない。えらさうに自分事を棚にあげといて、みいちゃんはぼけやからたのんでもあかへんといふ。私もしゃくなので好ちゃんなんかたのんでもしてくれへんがなといふと理くつを持ちだし、けんかごしでベラベラしゃべりたてる。

好ちゃんのこういふやうな事をあげればいひきれない程ある。 (中略) おまけに母までが弟の味方になられる。それで一層弟はつけあがる。くやしまぎれに云ふと、例の弟のおしゃべ口がよけいにしゃべり立てゝ、私はどうせまけるのだ。

(中略)こんな事が母に聞こえてはいけないが、弟がわからずやのきかずやになったのも一つは母のしつけが悪いのだと思ふ。もう少しどうかすれば(もっと小さい時に)もっとましになってゐただらうと思ふに。

みいちゃんも指摘しているが、私も父が自己中心的な性格になったのは、祖母の育て方が影響していたと思う。私たち父の子ども三人も含めて、父の家系の人たちで、父ほどに嫌な性格の人は、他には見当たらず、父だけが突出してすごい人なので、決して先天的なものではなく後天的な要素が原因で、あのような人格の人間ができてしまったのだと、私は推測している。