【前回の記事を読む】「こらァ」突然私の胸をつまんできた父。かなりなショックを受けた小学6年生の私…今でも忘れられない
両親の結婚
父
まだ、ほんの子どもだったが、五年生くらいの頃に、やたらに父が私と一緒に風呂に入りたがっていたこともあった。低学年の頃までは、何度か、父と風呂に入った記憶はあるが、もうずいぶん、一緒に入っていなかったのに、突然、そんなことを言い出すので、子どもながらに何かを感じたのか、私がいやだと言うと、残念そうに
「恥ずかしいの? まだまだ子どもやと思っていたのに」
と父は言った。この時は、この言葉の意味がわからなかったが、後から考えると、父に男としての下心があったとしか思えない。
結局、父は娘の気持ちより、自分の欲求を優先させていたのだ。
高三の時に火事で家が全焼し、その後、建てられた家は廊下のある普通の間取りの家で、脱衣場には鍵も付けられていたので、その家に引っ越した時は本当にほっとした。やっと安心して風呂に入れると思った。
父がどんなに独善的で自己中心的で怒りっぽくて鼻持ちならない嫌な性格の持ち主であったとしても、それだけなら、私はここまで父に失望することはなかった。
しかし、物事には許せる範囲のことと許せないことという二つの領域があるのではないだろうか。
父に失望したのは中一の頃だったが、この頃は、ある出来事をきっかけに母にも失望していたので、家にいるのが嫌でたまらなかった。どのくらい嫌だったかというと、父に関しては、顔を見るのも嫌だった。顔を見るのも嫌な人と毎日、顔を突き合わせて一緒に暮らさなければならないことほど苦しいことはない。しかも、その嫌な相手が、自分の実の親なのだから、どうしようもない。
まだまだ親の庇護のもとで暮らさなければ、生きていけないような年齢だというのに……。
逃げ場がどこにもない以上、ひたすら我慢するしかなかった。
真剣に家出をすることを考えたこともあるが、家出したところで、保護されて家に連れ戻されてしまうか、悪い人につかまってしまうか、山の中でのたれ死にするかのいずれかだと思った。施設にでも入る方がまだましだとさえ思っていたが、両親によって命を脅かされているわけではないので、施設にはまず入れてもらえないだろう。
死ぬことも考えた。しかし、さすがに実行する勇気はなかった。当時の私は、楽に死ねる方法を知らなかったので、死ぬ直前の一瞬の苦痛を想像して思いとどまっていただけだと思うが、そこまで追い詰められていたわけではなかったのかもしれない。苦しくはあったが、我慢ができるレベルの苦しさだったのだろう。
趣味に没頭するなど、自分なりに生きる楽しみを見つけることで、苦しさを紛らわせる工夫もしていた。