【前回の記事を読む】私が浴室から脱衣所に出るそのタイミングをいつも狙ってくる父。ほぼ大人の女性になっていた私のことを見ようと…

両親の結婚

この当時、住んでいた家は、私が小学二年生の時に建てられた家だった。

それまでは、京都市南部の伏見というところに住んでいたが、庭が狭く家も古かった。もともと借家だったのを、祖父が買い取った家だったと聞いている。

父が引越を決断したのは、広い土地を持ちたいという強い願望があったからだと思う。本籍地は福井県のままだったので、父の中で、引越をすることに対する抵抗はほとんどなかったのだろう。その伏見の家と、建ててからまだ数年しか経っていない京都市郊外の別荘を売却し、父は宇治市北部の住宅地に百十坪の土地を購入し、家を建てたのである。

その宇治の家は、父の設計によるものだったが、間取りもちょっと普通ではないような、おかしな間取りだった。平屋だったが、できるだけ狭い面積の中にたくさんの部屋を取ろうとしたらしく、廊下がなかった。

部屋から部屋へ移動するので、脱衣場の前も廊下ではなく部屋だった。浴室や脱衣場、トイレが家のほぼ中央にあり、脱衣場の前の部屋は、ソファーが置かれた居間兼応接間だった。

脱衣場は洗面所と兼用だったが、さらに使いにくいことに、脱衣場を通らないとトイレに行けないようになっていた。来客時などには、脱衣場とソファーの間にカーテンが引かれ、臨時の廊下ができるのだが、普段はカーテンが開け放たれていた。

どんな意図で、このような変な間取りにしたのか?

金銭に細かい父のことだから、建築費を少しでも安く抑えようとしたことはわかるが、脱衣場やトイレ、浴室をわざわざ客間にもなる部屋のすぐ隣に持ってくるというのは解せない。

居間兼応接間が、一番奥行きが深くて広い部屋なので、仕方なく浴室などの小さな部屋を横に持ってきたのかもしれないが、壁で隔てられているわけでもないのだから、居間に人がいる時は、トイレでゆっくり用を足すこともはばかられるような間取りである。

今なら、このような間取りは、いくら施主が提案しても設計士が修正してくると思うが、いい加減な建設会社だったのか、父がごり押しをしたのか、とにかく変な間取りだった。しかし、自分の設計が失敗だったことは、父自身もすぐに気づいたようだ。