【前回の記事を読む】勘弁してくれ…恥ずかしすぎる父の行動:高校生の貸し切り車両のど真ん中に座り込んだ挙句、引率の先生に「ちょっとあんた!」と…

両親の結婚

つまり、子どもの気持ちよりも、まず、自分が気持ちよく感じることを優先した自己満足的な愛情だったと思う。親としての本物の愛情ではなかったのだ。

父は、子どものことを自分の所有物かペットと勘違いしていたのではなかったのかと、私は感じている。そして、子どもが嫌だと思うことも平気でできる人だった。

いや、子どもが嫌だと感じているということすら、わからなかったのかもしれない。

私が中学一年生の時のことである。

入浴後、私が浴室のドアを開けて脱衣場に入ろうとする瞬間に、勢いよく父が脱衣場のドアを開けた。私は心臓が止まりそうなくらい、びっくりした。まだ体も拭いていないし、もちろん全裸の状態である。

私がいることを知らずに、たまたま開けてしまったのなら、すぐに閉めるはずである。ところが、父は、いかにも偶然を装うかのように、小さく「あ」と言いながらも、すぐにドアを閉めようとせず、「冷蔵庫に牛乳あるよ」と訳のわからないことを言っていた。

風呂上がりに牛乳を飲む習慣があったわけでもないし、わざわざ脱衣場のドアを開けてまで、急いで伝えなくてはならない話でもない。そもそも牛乳があるかどうかなんて、私が自分で冷蔵庫を開けて見ればわかることである。

この時の精神的ショックといったら大変なもので、今でも忘れられない。

忘れたくても忘れられないのである。

中学一年生で、心はまだ子どもだが、体は、ほぼ大人の女性の体になっていた。