今なら見られても、そこまでのショックではないと思うが、当時は、体の変化にまだ心が追い付いていない精神的にはとても不安定な年頃である。

父親に裸を見られても平気だと言う人もいるかもしれないが、私は絶対に嫌だった。

そして、父が知らずに偶然ドアを開けたのではないことは、すぐに確信した。

初めは、まさかという半信半疑の気持ちだったのだが、次の日、私は、父がはなれ(父の書斎兼寝室)へ行くのを確認した上で風呂に入り、さらに出る時には、外から開けられないように、念のために脱衣場のドアのノブを片手で引っ張りながら、浴室から出たのだ。

しかし、また父が外から開けようとした。その次の日も同じだった。ドアノブをドアの内側と外側で引っ張り合いになり、ドアの向こうで、「引っ張ってやがる」と言う父の声が聞こえた時は、ゾッとした。残念さと愉快さが入り混じったような声だった。

また別の日、この出来事より少し前だったと思うが、私が浴室から出ようとすると、脱衣場のドアが大きく開け放たれていることもあった。私が浴室から、「ドア、閉めてー」と言うと、近くにいたのは父だった。

父は几帳面な性格の上に目ざとい人なので、ドアが大きく開けっ放しになっていると、気になってすぐに閉めるはずである。ドアが全開の状態のまま、近くにいたというのは、父のいつもの行動からは考えられない。

脱衣場のドアに鍵はなかったが、それまで着替え中に家族の誰かにドアを開けられたことは一度もなかった。ドアにはすりガラスの比較的、大きな窓がついていて、脱衣場に人がいたら誰にでもわかるようになっており、父のような敏感な人が、人の気配に気づかないはずがなかった。

考えるだけでもおぞましいことだが、父は、私が浴室から出る、そのわずか一瞬の絶妙のタイミングを狙って、いつも脱衣場のドアの前で待っていたのだ。

それにしても、これほど見え透いた行為を三日も連続でするなんて、父は私が気づかないとでも思っていたのだろうか。一回目の成功で味を占めたのかもしれないが、二度も三度も偶然を装うのは、さすがに無理があるだろう。

大人がやる手口としては、かなり幼稚だと思うが、父は、自分と同じ血が流れている我が子が、その幼稚な手口を見抜けないほど鈍い人間だとでも思っていたのだろうか。